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2018-05-24

『日本書紀』を読む(2)神武天皇と欠史八代

見附市学びの駅ふぁみりあでシリーズ開催されている「古代日本史講座」。
17期の『日本書紀』成立1300年!その謎を解くシリーズ。今回はその第4回「『日本書紀』を読む(2)神武天皇と欠史八代」と題して、『日本書紀』巻三~四に記された初代神武と九代開化に至る天皇の事績を問う。
※以下「私」と記述している部分は関根先生のことを指しています。

■プロローグ「神武天皇一代記」(動画)

まず、次の動画を見ていただきたい。

『古事記』や『日本書紀』に記されている神話や天皇記については様々な本で紹介されている。この動画も神武天皇について現代流に解釈して作成されている。神武が一般的にどのようにとらえられているか、わかりやすいので参考にしていただきたい。

『古事記』にも『日本書紀』にも「神武天皇」という名称の記載はなく、「神武天皇が即位された」という言い方も問題があるかもしれない。

神武天皇はどのような人物だったのだろう。『日本書紀』原文を読んでみても、戦いに自分の力で勝利したのは1回しかなく、ほとんどが誰かの助けを借りて切り抜けてきたエピソードとなっている。本人は何もしていないのではないかという印象だ。

実際はどうなのか、また歴史としてどういう風に解釈されてきたのかということを本日は探ってゆきたいと思う。

ただ、この動画の中で「八紘一宇」という言葉が紹介されていることについて触れておきたい。日本書紀に書かれているこの言葉は、全世界を一つの家族にするというような意味合いで、日本のアジア進出のスローガンにも使われ、精神的支柱となった経緯がある。明治以降の皇国史観に利用されてきた。現代でも(今日紹介する本にもあるが)この考えを取り上げるメディアは多いが、本講座はそういう立場はとらない。

■『古事記』『日本書紀』の位置づけ(復習)

【資料1】別冊宝島1671『古事記と日本書紀』(宝島社2010)
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このムックは最近紹介することの多い宝島社からのもの。表紙を見てもわかるように若者向けに編集されているが、内容はしっかりしており参考になる。
『日本書紀』成立期の時代背景についてはこのシリーズの初回に取り上げたが、このムックで復習しておく。

Q1 いつ頃、誰が作った?
『古事記』は、712年、稗田阿礼が話した内容を太安万侶がまとめたと書かれている。『日本書紀』は、舎人親王(天武天皇の息子)が720年に献上したと『続日本紀』に記されている。

Q2 古事記・日本書紀ではなにが違う?
資料に掲載した表にそれぞれの特徴がまとめてある。
『古事記』は3巻でまとめられており、そのうち1巻が神話で、ほぼ三分の1が神話に費やされている。『日本書紀』は全30巻となっており、そのうち2巻までが神話で、古事記に比べて比率が小さい。逆に言えば『古事記』はそうとう神話を重視していると言える。
『日本書紀』の神話に引き続く3巻が今日のテーマの神武天皇、4巻が欠史八代の部分に相当する。(「欠史」というのは名前の羅列となっており、事実が何も書かれていない状況であり、それが今日の課題となる。
文体については『古事記』は漢文を和文化したような文体で書かれているのに対し、『日本書紀』は漢文。(「純粋漢文」という言い方をされることもあるが、この表現はちょっと抵抗がある。)
そんな違いにより、『古事記』は国内向けに、『日本書紀』は海外向けに編纂されたという見方もできる。

Q3 どうやって作った?
『古事記』も『日本書紀』も『帝紀』や『旧辞』をもとにして編纂されている。『日本書紀』はそれに加え、さまざまな資料を参照している。それは原文を見てみると「一書曰」と書かれている部分が多数あることでわかり、天皇家の記録とは別の物も表している。また、中国や朝鮮の史書などの影響がみられるところも多い。

Q4 どんな構成になっている?
Q2の両者の違いで述べたように巻数と神話についての比率がかなり違う。
『日本書紀』については、續守言と薩弘恪というふたりの唐人が関わっている。

Q5 この頃はどんな時代?
私は、710年から平城遷都が始まり、715年に元明天皇から元正天皇へバトンタッチが行われた時に、律令国家「日本」(ヤマト)が内外に披露された、ととらえている。『古事記』はまさにこの時期に成立しており、もしかしたら平城京ではなく藤原京でできた可能性もある。『日本書紀』は律令国家「日本」(ヤマト)が披露された5年後に成立したが、その成り立ちには複雑な事情がありそうで、大きな課題となる。

■書紀に書かれた神武とその後の天皇の系譜を知るための参考

書紀に記されている歴代天皇の変遷を知りたいというときは、様々な書籍が出ているので、いくつか紹介する。

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安彦良和の『神武』はコミックで4巻にまとめられており、気軽に接することができる。私はこの方の絵が好きだ。

ただ、歴史研究として読み進めるなら何度か紹介している岩波版の「日本書紀」は必須。
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私もこの本はしっかり読んでゆきたいし、さらに古代史ビューア【麻呂】を併用・活用して客観的に読み込んでゆきたい。

■自然科学的な方法により客観的に神武を見る

【資料2】資料紹介 安本美典『神武東遷』(徳間文庫1988)

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ここに紹介する安本美典氏は古代史の著述が多いが、古代史の専門家ではなく基本的には心理学・統計学の学者。彼の手法は、記述された文章を数値化する。著書に数理歴史学に関するものもあり、歴史を自然科学的な手法で分析していくというのが安本氏のやり方。
この手法で調べていくと、日本だけでなく世界の王族・皇族を調べると、古代においては十数年がせいぜいで、何十年単位という統治期間を持った例はほとんどない。日本の神武から始まる天皇の統治期間も例外ではない。

神武天皇と欠史八代について安本氏は、「神武天皇」と呼ばれていたかは別として、欠史八代の天皇も含めて、少なくともモデルとなる人物は存在していたのではないかと推定している。
最近の傾向としては、安本氏を含めて、実在論を述べる人が増えてきている。
さらに安本氏は、その人物が活躍した年代に言及しており、西暦三世紀末(270年前後)頃ではないかと導き出している。
前回の講座で邪馬台国を取り上げた際に、卑弥呼が存在したとすればそれは西暦250年から270年くらいと考えられるとした。ということは邪馬台国の時代と神武天皇の時代はニアリーイコールとなる。神武天皇と卑弥呼が戦ったと論じている人もいる。

このように、神武天皇に相当する人物が270年頃に存在していたということを論理だてて導き出しているこの本は魅力的であり、安本氏を支持する人も多い。私も大きな影響を受けた一人。しかし、ここまで徹底しているにもかかわらず重要なことを見逃しているということもあり、最近は少し距離を置くようになった。とはいえ、重要な方なので、今回資料として紹介させていただく。

安本氏と大論争を繰り広げた古田武彦氏が神武天皇について書いたのがこの本。
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古田氏も実在論の立場をとっている。この本では神武のふるさとは日向ではなく筑紫だったと主張している。

■考古学の観点で見た神武天皇

【資料3】資料紹介 森浩一『日本神話の考古学』(朝日文庫1988)
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この資料で紹介しているのは森浩一氏の著書。現在私が日本の学者の中でもっとも注目している方である。考古学者だが、いろいろな分野の文献をあたったり、学際的にいろいろな分野の方と交流を持っておられる。この講座でも「相模の調邸」について「関東学」という著書を何回か紹介していておなじみだと思う。
この本も、専門の考古学の観点で日本神話を見ているのはもちろんだが、著者の持っている様々な視点から多くの問題を提起しており、神武天皇についても論じられている。神武天皇というのはいろいろな人物を神代まで持ち込んで投影したものととらえることが多いが、森氏はそれは継体天皇ではないかと考えている。その部分のくだりを資料に抜粋したので目を通していただきたい。
この本は割と手に入れやすく良い本なので、できれば1冊購入して読んでみていただきたい。

神武天皇のモデルにはいろいろな人が言われているが、参考までにこんな本もある。
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衛挺生氏の「神武天皇=徐福伝説の謎」という本では徐福がモデルと述べている。
神武天皇のモデルに関しては後ほど再度取り上げる。

■皇国史観に利用される神武天皇

【資料4】資料紹介 産経新聞取材班『神武天皇は確かに存在した』(産経新聞出版局2016)
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この本は現政権への提灯記事から生まれており、戦前の皇国史観のような時代錯誤の天皇論が展開されている。この手の話には神武天皇が引き合いに出されることが多い。
まったく同じ歴史が現れることはないが、同じパターンが繰り返されることはある。そんなことを考えるきっかけになればと思い、今回紹介した。

■神武天皇モデル説

【資料5】資料紹介 別冊宝島2345『ヤマト王権』(宝島社2015)
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さきほど森浩一氏の著書のところでお話ししたが、神武天皇は後世の人物をモデルにして作り上げたのではないかという論が多数ある。モデルとして取り上げられている主な人物を整理した表をこの資料に引用した。10代崇神、15代応神、16代仁徳、26台継体、40台天武、先ほど紹介した徐福などを含めると、時代背景も幅広い。共通して言えることは古代日本の英雄的な人物を神武に投影しているように見える。
現時点では結論は出ておらず、私としても今後の課題の一つととらえている。

■欠史八代と祖先伝承の意味

欠史八代とは日本書紀の第四巻に書かれている8人の天皇のこと。その記述内容は系譜を述べているだけで事績については何も書かれていないため「欠史」とされている。

【資料6】資料紹介 別冊宝島1671『古事記と日本書紀』(宝島社2010)
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この本には欠史八代に書かれている系譜を、問題点とともにわかりやすくまとめられており、資料にその部分を引用した。

ここで、古代史ビューア【麻呂】の検索機能を使って、この講座なりの分析をしてみたい。
日本書紀を読んでいるとどうも子孫の伝承にポイントがあるのではないかと気づく。そこで、目につくキーワードを拾い上げて、【麻呂】のカスタム検索に「祖先伝承」というグループを作り、語句を登録していった。これがその画面。
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「始祖」「遠祖」「等祖」などの語句で検索すると、「この神様はこういった人たちの祖先である」というような説明がたくさん書かれているのがわかる。
正規表現を使って「始祖」「遠祖」「等祖」「之祖也」の4つの語句をまとめて日本書紀を検索した結果が下の画面。右上の用例チャートの部分をみていただきたい。
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全部で96回の用例が確認できるが、ほとんどが書紀の前半4分の1のあたり、つまり神代巻や神武、欠史八代のあたりに用いられていることがわかる。
例えば「始祖」が一番最初に登場するのは巻02《神代下》9段の部分

號火闌降命。【是隼人等始祖也。

と書かれている。「號火闌降命」(ホノスソリノミコト)は「隼人」一族の始祖だとの記述。

これらの記述が存在する意図は何だろう。
古事記や日本書紀を作った大きな目的の一つとして、天皇の権威付けがある。人々を従わせるためである。しかし人心を掌握するためには天皇の権威を示すとともに、自分たち自身が天皇家の一族であるということを示してあげることが有効な手段だったのではないだろうか。

「歴史(社会の営み)を動かす人」は誰なのだろうか。現在の日本で考えると首相である安部さんだろうか。そうだと思う人も違うと思う人もいると思う。首相の他にも政財界のドンであったり、いろいろな意見があるはずだ。しかし天皇家が歴史を動かしているということはないのではないか。それは現代だけでなく古代からそうであると思える。もちろん太平洋戦争の敗戦受け入れのように天皇が大きな役割を果たしたこともある。しかし、大きな流れで見ると天皇家は権威の象徴であり、実権をもって社会を動かすことはなかったと言えるのではないか。
欠史八代周辺にちりばめられた祖先伝承には、そんな天皇家の在り方を成り立たせようとする意図が浮かび上がってくる。

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