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2018-03-01

懐風藻:日本初の漢詩集成立と古代日本の時代背景

見附市学びの駅ふぁみりあでシリーズ開催されている「古代日本史講座」。
本日は「平城京遷都と日本建国の謎を解く」シリーズの第4回目、日本初の漢詩集である懐風藻にスポットを当て、その成立と編纂された時代背景を探っていく。

■懐風藻とは

 751年に作られた漢詩集(漢文で作られた詩集)で、日本で初めて意図的に作られた文学作品という言い方もされる。

【資料】『懐風藻』の詩人たちと時代背景
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 左半分は書籍『いちばんやさしい日本史の本』(西東社2012)より、懐風藻が編纂された時代を紹介、右半分は掲載されている漢詩の作者計64人のリスト。詩の数は序文には120と書いてあるが伝わっているのは116。
 そもそも懐風藻の研究書は極めて少ない。現在手に入りやすく読みやすいものは講談社学術文庫のものがある。2000年くらいから見直しがされて、専門誌などに部分的な研究成果が発表されているが、一般の人たちはなかなか手が出ない。

■懐風藻の編纂者

 懐風藻に掲載されている作品の作者は分かっているが、だれが全体を編纂したのかはわかっていない。そのあたりの事情を探ってゆきたい。
 資料の右側に載せてある人物のイラストは「淡海三船」という人物で、この人が懐風藻の編纂者ではないかと言われている。

■本講座での取り組み

 懐風藻の各作品を読んでいくというのはなかなか大変でもあり、それよりも収録されている人物の解析などから懐風藻が歴史的に果たした役割を探ってゆきたい。

■懐風藻ができた時代を概観する

 712年の古事記から始まり、風土記、日本書紀などこの時代の作品が次々と編纂されている。また、771年以降、万葉集も編纂開始される。しかし、長屋王の変を経て、聖武天皇による都の徘徊など世の中が落ち着かない世情の時でもあった。

■懐風藻の詩人たち

 目録の最初に記載されているのが「淡海朝皇太子」(おうみちょうこうたいし)。これは壬申の乱で有名な大友皇子(おおとものみこ)のことで、天武天皇の政敵。二首載っている。
 3番目に記載されている「大津皇子」(おおつのみこ)。日本書紀に記載があるが、反乱者として自害に追い込まれた人物で、いわば犯罪者。四首載っている。
 さらに「葛野王」(かどののおう)。大友皇子の長男であり、二首載っている。
 壬申の乱で敗北した大友皇子側にゆかりの人物がかなり取り上げられている。

【資料】資料紹介 江口孝夫全訳注 『懐風藻』(講談社学術文庫2000)

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 懐風藻に掲載されている詩の中で十数の詩は長屋王邸の宴席で作られたもの。長屋王邸での宴席は722年くらいから長屋王の変で亡くなる729年までの7年間くらいでひらかれたもの。長屋王に近い人たちが書いたものが多く含まれている。
 懐風藻には大友皇子系の人も多く含まれている(その反対者ももちろんいる)。かつ、伝記など詳細に記述されていて他の人と別格に扱われている。資料の「葛野王」の伝記の現代語訳にも載っているように持統天皇の前で皇子諫めたようなエピソードも載っている。
 問題はそれが事実かどうかである。ひとつの研究書では例えば序文の記載について誇張したようなところがなく史実性が高いと評している。しかし別な研究書では目録と本文の記述の違いが多すぎると評している。(前者著者は国文学の方、後者の著者は歴史学の方であるのが興味深い)

 「葛野王」を検索してみると続日本紀で2件該当箇所が見つかる。最初は705年に「正四位上葛野王卒」とあり、ただ単に亡くなったという事実のみ記されている。しかし、2回目にその名が記載されているのが785年に「淡海眞人三船」という人物が亡くなった際に大友皇子の曾孫であることと並んで、「祖葛野王正四位上式部卿」と記載があり、祖父が正四位上の式部卿であった葛野王であるとしている。
 しかし、式部卿で検索しても葛野王らしき人物は見つからず、懐風藻に記述のある37才に該当するのは706年になり705年に死亡したという記述と矛盾する。さらに持統天皇自体も703年にはなくなっており、「37才で式部卿に抜擢」という懐風藻の記述はどうもあやしそうだ。

■歴史談義

 この「怪しい記述」から歴史談義に移っていった。
 歴史というものは人間が書いていくのでその意図が入り込むし、間違いもある。その中で自分がどのように取り組むのかが面白いところ。現代ではネットでいろいろな情報に接することができるし、文献はオークションなどで広範囲に入手可能。
 書かれていることをうのみにはできないが、その背景はある程度確かなものと考えられる。テキストによる検索によってそういう背景を分析することが我々は高度に行うことができるようになった。その上で歴史が何が真実かというのは読む人が自分の責任で判断するしかない。人任せにだけはしない方がよい。自分が納得できなかったらそれは信じない。自分なりに客観的に科学的に見極めたい。

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